ジェスカズ・フォーミュラは楽天やAmazonのネット通販では販売されていません。ですから、これらのモールの出店店舗には、実際の口コミ(レビュー)の書き込みは一切ありません。それならばと、ジェスカズ・フォーミュラを実際使用している私と母の感想を纏めました。
ジェスカズ・フォーミュラを母が愛飲していた!
わたしの母がジェスカズ・フォーミュラを愛飲して、左手の中指の曲がりが治ったという実際の経験談です。
現在、私の母は父とふたりで北海道で農業をしています。
母は7年前に乳がんにかかり、左温存手術を行いました。
この手術は我が家にとっては、今思えば、大きな曲がり角でした。
私も入社まだやっと2年目という時期に、ショックが走りました。
手術入院が3週間かかりました。
運よく、父が母のために癌保険に入っていて、全部保険で賄えたといってました。
父親は、先見の目というのかわかりませんが、自分たちで考えて、貯蓄型のがん保険に入っていたのがよかったみたいです。
1日入院で6万円の保険が戻りました。
入院は21日間でしたので、6×の21ということになります。
これは毎月の収入の全額といっていいほどの掛け金です。
よく北海道の田舎の農業で稼げたものだと感心してます。
退院してから3日後から抗がん剤
乳がんは手術が終われば、もう安心と思う人が大半だと思います。
ところが、がん治療の苦労はここからが始まりでした。
抗がん剤の影響で身体全身の脱毛がはじまったのが12月。
まだ60歳になってなかった母親は、かつらを自分で頼んで、少しでも以前と変わらないように繕っています。
1年後、放射線治療が1週間に5回、それを5週間。
この治療がかわいそうなほど、痛々しい様子でした。
ちょうど、お魚を焼いて焦がした状態が、左の脇腹から肩にかけて黒く変色する始末。
この治療には母も何度も病院に行きたくないと泣き出しました。
そして、抗がん剤は3種類。
2年間、続いています。
この抗がん剤も、体質に合うか合わないかで、大変な激痛が身体に襲いかかります。
あまりの痛さに、母親は他の「抗がん剤にしてくれませんか」と医者に相談していました。
いつもは、とても我慢強い母親が、今回ばかりはもうフラフラの状態になっています。
2年目が過ぎての治療は
2年目が3月半ばで終了すると、次に待っていた治療がホルモン剤の投与でした。
それも今年の4月で終了します。
乳がんに関して言えば、完治といっていいでしょう。
家族もやっと安心しているところです。
ところが、母親の左半身は抗がん剤の影響で、麻痺(しびれ)が生じて、以前のように動かすことができません。
如実に現れているのが、左手の指が動きません。
ですから、物を掴むことができなくなっています。
父親とふたりで、なんとか食事などには困らないほどになってくれればいいなぁと安じています。
父親が休みの日に、母親と一緒に近場の温泉に行って、左半身の麻痺が少しでも軽減できればと一緒につれていってます。
父親が母親と一緒に、近くのお店に買い物にいったときの話をしてくれました。
「お母さんと一緒にスーパーに行くと、店員さんがドアーを親切に開けてくれるんだ」とか。
父親がいうには、「それくらいお母さんの姿が痛々しかったのだろう」と。
そして、母親は少しでもと、台所に立とうとしています。
でも、思うように体がうごきませんので、よくお皿とかコップを落とします。父親はやさいい人で、「だいじょうか」とすぐに片づけをしてくれるそうです。今は、もう少しで(今年の4月完治)ホルモン剤とも卒業です。
母の左半身の麻痺が少し治ったと・・・
毎月の1回は母親を確認しに、北海道に帰省しています。
経済に余裕はありませんから、Jetstarで成田から千歳空港まで。
片道2980円のときもあれば、3980円のときもあります。
安くて助かってます。
1ヶ月前に自宅に帰ったときに、曲がらなくなっていた左手が伸びて、以前とおなじように真っすぐになっていました。
母親は「ほら、もどったでしょう」と明るい声で、喜びを私に説明してくれました。
抗がん剤、終了のときに、ずっと治療をしてくださった看護師さんが、「抗がん剤終わったから、これを少しずつ飲んで・・・」と説明書といっしょに下さったという。
添えられていた説明書には、
なんと、嘘みたいなジェスカズ・フォーミュラが・・・
つくり話みたいな、いや、これ実話なんです。
添えられていた説明書の中に、
「これは、髪の毛や皮膚が痛んだときに飲んでください。」
「抗がん剤が終わりましたので、お疲れさんを込めて・・・」
その看護師さんは、母親の高校の後輩ということで、丁寧に治療してくださったようで。
あとでわかった看護師さんの正体は?